週末のキッチンで新しい料理に挑戦しようとする時、私たちはしばしば「名前が違うだけで、結局はハンバーグと同じではないか?」という疑問に突き当たります。特に米国ドラマや映画で頻繁に目にする「ソールズベリー・ステーキ(Salisbury Steak)」は、その代表例と言えるでしょう。
結論から申し上げます。ソールズベリー・ステーキと日本のハンバーグは、その法的定義、歴史的背景、そして調理の設計思想において、全く別の料理です。
この記事では、米国農務省(USDA)が定める厳格な製品規格と、19世紀の医学的起源という二つの視点から、ソールズベリー・ステーキの正体を解き明かします。読み終える頃には、あなたは単なる「グレービー味のハンバーグ」ではない、本物のソールズベリー・ステーキを論理的に再現し、その背景にある物語を食卓で語れるようになっているはずです。
[著者情報]
✍️ 執筆者:ロバート・クラーク(Robert Clark)
食文化史研究家 / 元ニューヨーク・フレンチビストロ副料理長
米国の歴史的レシピを現代のキッチンで再現する専門家。USDA(米国農務省)の食品規格書を読み解き、科学的根拠に基づいた調理指導を行う。ペルソナである佐藤さんのような「論理的な正解」を求める料理愛好家に対し、公的データと歴史的事実をもって誠実に答えることを信条としている。
「ハンバーグと同じ」という誤解を解く。その決定的な定義差
多くのレシピサイトやブログでは、ソールズベリー・ステーキを「煮込みハンバーグのアメリカ版」として紹介しています。しかし、料理の背景にある「論理」を重んじる佐藤健一さんのような方なら、その説明にどこか釈然としないものを感じていたのではないでしょうか。
「ハンバーグ(Hamburger Steak)」と「ソールズベリー・ステーキ」を分ける境界線は、単なるソースの違いではありません。実は、米国にはこの二つを明確に区別する「法律上の定義」が存在します。
私がニューヨークの厨房にいた頃、最も頻繁に受けた質問の一つが「なぜこのメニューをハンバーガーとは呼ばないのか?」というものでした。その答えは、米国農務省が定める「肉とつなぎの比率」にあります。ハンバーグが自由な発想で作られる「家庭料理」であるのに対し、ソールズベリー・ステーキは公的に管理された「規格料理」としての側面を持っているのです。
米国政府(USDA)が定める「正統派」の数値:肉65%の壁
ソールズベリー・ステーキをソールズベリー・ステーキたらしめる最大の根拠は、米国農務省(USDA)が発行する『食品規格および表示ポリシーブック(Food Standards and Labeling Policy Book)』に記されています。
USDAの定義によれば、ソールズベリー・ステーキとして販売・提供される製品には、以下の厳格な基準が課せられています。
- 肉の含有量: 調理前の重量に対して、最低65%以上の牛肉を含まなければならない。
- 脂肪分: 最終的な製品の脂肪分は25%以下に抑えること。
- つなぎ(フィラー)の制限: パン粉や卵などのつなぎは、最大12%(大豆蛋白などの場合は3.5%)までしか認められない。
この「肉含有量65%以上、つなぎ12%以下」というルールこそが、日本のふっくらとしたハンバーグとの構造的な違いを生んでいます。日本のハンバーグがつなぎをたっぷり使い、ふんわりとした食感を目指すのに対し、ソールズベリー・ステーキは「肉そのものの力強さ」を維持しながら、ソースと調和する柔らかさを科学的に設計しているのです。

なぜ「煮込む」のか?ソールズベリー博士の「挽肉療法」が教える調理論理
なぜ、この料理にはマッシュルーム入りの濃厚なブラウン・グレービーソースが不可欠なのでしょうか。その理由は、この料理の生みの親であるジェームズ・H・ソールズベリー博士(Dr. James H. Salisbury)の医学的思想にあります。
19世紀後半、南北戦争時代の米国において、兵士たちの間で深刻な胃腸疾患が蔓延していました。ソールズベリー博士は「炭水化物や野菜の過剰摂取が消化不良の原因である」と考え、その解決策として「細かく叩いた牛肉を焼き、少量のソースで煮込む」という食事療法を提唱したのです。
これが、現代に続く「ソールズベリー・ステーキ」の起源である「挽肉療法(Minced Meat Diet)」です。
博士の論理では、肉汁(ジュ)をベースにしたソースで肉を軽く煮込む工程は、単なる味付けではありませんでした。それは、肉のタンパク質をより消化しやすく、かつ効率的に栄養を摂取するための「処方」だったのです。この歴史を知れば、ソールズベリー・ステーキにおいてソースとの一体化(Simmering)がいかに重要な工程であるかが理解できるはずです。
✍️ 専門家の経験からの一言アドバイス
【結論】: ソールズベリー・ステーキを作る際は、日本のハンバーグのように「肉汁を中に閉じ込める」ことよりも、「ソースの旨味を肉に吸わせる」ことを意識してください。
なぜなら、この料理の本質は煮込み(Simmering)にあり、肉含有量が高いソールズベリー・ステーキは、ソースの中で煮込むことで初めて、独特のしっとりとした質感と深いコクが完成するからです。焼き目をつけてからソースに投入する「二段階調理」こそが、博士の意図した正解への道筋です。
【実践】論理で勝つ、本場のグレービーソースと再現レシピ
USDAの基準と歴史的背景を理解したところで、実際に佐藤さんのキッチンで再現するための論理的アプローチを整理しましょう。日本の「煮込みハンバーグ」と何を変えるべきか、以下の比較表にまとめました。
日本のハンバーグ vs 正統派ソールズベリー・ステーキ
| 項目 | 日本のハンバーグ | ソールズベリー・ステーキ(正統派) |
|---|---|---|
| 肉の種類 | 合挽き(牛・豚)が多い | 牛肉100%が基本(USDA基準) |
| つなぎの量 | パン粉・卵等を多用し、ふっくらさせる | 12%以下に抑え、肉肉しさを残す |
| ソース | デミグラス、照り焼きなど多種多様 | ブラウン・グレービー(マッシュルーム入) |
| 調理の核心 | 蒸し焼きでふっくら仕上げる | 焼き固めた後のソース煮込み |
| 提供の形 | 米飯に合うおかず | マッシュポテトを添えた一皿料理 |
失敗しない再現のステップ
- 配合を計算する: 牛挽肉300gに対し、パン粉や卵などのつなぎは総重量の10%程度(約30g)に設定します。これによりUSDA基準をクリアし、本場特有の食感が生まれます。
- メイラード反応を最大限に: 煮込む前に、強火で表面にしっかりとした焼き色をつけます。この「焦げ」がソースに溶け出し、重厚なグレービーのベースとなります。
- マッシュルームの力を借りる: ブラウン・グレービーには、必ずマッシュルームを加えてください。マッシュルームに含まれるグアニル酸が、牛肉のイノシン酸と相乗効果を起こし、短時間の煮込みでも深い旨味を創出します。
よくある質問(FAQ)
Q: 牛100%でないと、ソールズベリー・ステーキとは呼べないのでしょうか?
A: 厳密なUSDA基準では牛肉が主役ですが、家庭での再現においては、少量の豚肉を混ぜることは禁止されていません。ただし、ソールズベリー博士の「療法」としての側面を重視するなら、牛肉の比率を極限まで高め、肉の繊維感を楽しむのが正統派と言えます。
Q: インスタントのグレービーミックスを使ってもいいですか?
A: もちろん構いませんが、佐藤さんのようなこだわり派には、肉を焼いた後のフライパンで小麦粉とバターを炒め、牛肉のストックで伸ばす「自家製ブラウン・ルウ」をお勧めします。このひと手間が、歴史的な「挽肉療法」の重みを感じさせる一杯に仕上げます。
まとめ
ソールズベリー・ステーキは、単なるハンバーグの別名ではありませんでした。それは、USDAが守り続ける「肉の比率」という規格と、ソールズベリー博士が提唱した「医学的論理」が融合して生まれた、米国食文化の象徴です。
- 肉含有率65%以上という構造的理解。
- つなぎを抑え、ソースで煮込むという歴史的必然性。
この二つの軸を意識するだけで、あなたの作るソールズベリー・ステーキは、世の中の曖昧なレシピを遥かに凌駕する「正解」へと到達します。
今週末、論理に基づいた本場の味を、ぜひマッシュポテトと共に食卓へ。そして、その一口の裏にある物語を、大切な方へ語ってあげてください。
[参考文献リスト]
- USDA Food Standards and Labeling Policy Book (2005) – Official PDF
- The History of Salisbury Steak – The Spruce Eats
- Salisbury Steak With Mushroom Gravy Recipe – Serious Eats
- The Relation of Alimentation and Disease – James H. Salisbury (1888)

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